心を偽るということ


 現在私は、肉体の病気の方で療養中なのですが、昔、心の病気になった事がありました。
心の病気って特別な病気でもなんでもなくて、生きていればなる人は多いんじゃないかなーと思うんです。

なぜ自分が心の病気になったのか。それは ”心を偽り続けた” からでした。

 過去の経験を振り返ると「本当はこう思っているし、こうしたい気持ちがある」のに、他人から強引に意見を押し付けられたり、押し付けられたと勝手に思い込んだりして、本心を押さえ込む。
本心を押さえ込んだ状態が、本当の自分の意思なんだと思い込もうとする。そんな状態になっていました。

表「自分はこれが好きでやっている事だ」
裏(本当は好きじゃない。けど、好きと思い込んだ方が都合いいんだ)

 しかし、置き去りにされた本心はくすぶり続ける。感じないように蓋をしても、ジリジリと押し上げてくる。それに対し一生懸命抵抗する。色々と理由をつけ、言い訳をし、本心に蓋をする。
我慢して、我慢して、嫌な気分を感じないフリをして、別のことで気晴らしを考える。
でも絶対に晴れる事はないんです。だって、元の問題が解消されていないから。
何をやっても上の空、空虚になり感動ができなくなる。
楽しいはずの娯楽も、全て義務的に感じてしまう。
心を偽り続けると共に、どんどん心の病は悪化し、仕事も勉強も非効率的になっていってしまう。生活に支障が出て、焦って、本心に蓋をして、また焦って、負のスパイラルに陥り限界が来る。

 

「過去にやりたかった事を、理由付けしてやれなかった人は、今からやればいい」
「やめたいことを嫌々続け、やめられなかった人は、今やめればいい」

 私はこの単純な事が、とても大事だと思っています。
心病んでる時って、自分はまともな判断ができてると思っていても、全然まともな判断じゃないんです。
”好きなこと” と ”嫌いなこと” が真逆になっていたりするんです。
好き嫌いを勘違いしたままでいるので、病をただ悪化させる方向に走っていたりするんです。
 私の場合は、病で一気に思考が狭くなり、自分の事を言うと他の人の迷惑になると考え、本心を打ち明ける事が中々できなくなりました。
でも実際、周囲の人は話を聞いてくれたりするもんです。
私は病んでる人には、できる範囲での事はしてあげたいと思います。(※話を聞いてくれない、攻撃されると感じるならそれは離れた方が良い人間関係です)

 私は「病んだ」と自分で言えるようになってから、一気に楽になりました。頭で、これは病気なんだ、と認識できるようになって、やっと回復に向けて考えられるようになりました。
”心を偽り続けるには限界がある”
もし今、窮屈に感じている人がいて、私の経験が少しでも役に立ったなら嬉しいです。

 

 現在引っ越し準備中。ダンボールに詰め込み作業の始まりです。
住み慣れたこの部屋ともお別れですなぁ。長い間お世話になりました。

寝る前のフミフミ作業中の、ぺた氏。
ふみふみ


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